ヨコハマメリー

ギンレイにきたので、Kを連れて、二度目の鑑賞
(予想どおり、Kは大満足)
二度目なので 頭にうかんだことをつらつらと


前回の日記にも森日出夫さんの発言について書いたのだけれど (→☆
(自分が写真を撮ったその被写体が、姿を消してしまうことが多いので
 写真を撮ることが怖くなったりもしたけれど。
 でも、そのぶん心をこめて被写体と向かい合おうと思った、みたいなくだり)


いま、もう、メリーさんも元次郎さんもこの世にはいないので
生きているうちにこの作品に着手したことは素晴らしいことだな、と思った
ラブコールは、生きているうちに相手に届けなきゃ、さびしすぎるもの
(こうして映画という名目がなかったら、
 元次郎さんが横浜を離れたメリーさんのところへ会いに行くことが
 実現したかもわからないと思うし)
好きだったあれがなくなったときに、好きだったのに‥、と悔やむのはいやだもの
(実際伊勢崎町も、あちこち変わってきているもの。
 いま、目のまえにあるときに、可愛がらないと)


あと、お年寄りの顔って、その人の核のようなものがはっきり現れるので
(メリーさんだったら品のよさ。あの人は、粋さとかきっぷのよさ。
 あの人は面倒見のよさ、あの人はヤンチャなきもち、等)
自分が年寄りになったら、なにが顔にあらわれるのだろう 
わたしの核ってなんだろう‥ なんて考えた


(うっすらしたのんきか‥)