オバサンとわたし

日曜の講座で、大森さんがオバサンをとおりこしてオバアサンになりたい、と仰ったことについて
ふふーむと納得しながら残念だったのは、「オバサン」はそんなに悪なのか? ということ


今概念としてあるオバサンではなく、新しいオバサン像をうちだすことは
そんなに難しいことなのか‥


わたしは一度だけ、「今わたしがオバサンだったなら!」と残念に思ったことがある
それは、コンビニで、やけにモタモタするアルバイトの若者(男子)を見たとき、
モタモタ思うように体が動かず、先輩から「なにやってんだよ!」的攻撃を受けている彼に、
「アーンタ気にすんじゃないわよ!すぐ慣れるわよ!」
って言ってあげたかった‥ 気軽にはげましてあげたかった‥
でも言えなくて‥*1
あのときほど、自分の小娘っぷりを悔いたことはないです‥


(とりあえず今、どんなオバサンだったらなりたいか、考えてみて、浮かんだ人 
 ・清水ミチコ ・杉浦日向子。 ‥って二人だけ? 自分に宿題だ )

*1:なんかモタモタしているわりに図太そうな男子だったので、妙齢の自分が声をかけて、「ナニ?このオネエサン俺のこと好きなわけ?」とか思われたら。それはイヤだ、と思ったのです。若さはときに、面倒くさい