金曜日とわたし

地味なはなしです


「聴かれた女」(レイトショー)前に、ラピュタ阿佐ヶ谷(ミステリー劇場2)で「悪魔の手毬唄(1961:高倉健主演)」観ました。このあいだの「雌が〜‥ かまきり」が予想外におもしろかったので、ミステリ劇場2、通わねば!て思ったのだけど、今日のは、ふつう。ふつうにおもしろいくらい。時間中、飽きることはないのだけど(といいつつ途中睡魔におそわれた) 特に眼や心をうばわれることもなく。高倉健金田一ってことで、短髪・(むしろハイカラな)洋装に違和感を覚え、‥金田一どうこう以前にハイカラな高倉健、ケン・タカクラがハイカラって!なんか納得いかないわー。ていうか刷り込みをおそれるべきなのか‥とか思いながら。それで、そのときラピュタのお客さんのなかに、若くオシャレな女子がいたので、なんとなくうれしかったのだけど、そのあとポレポレに移動したら、その娘の姿を再発見して、まぁ!花の金曜日に地味な映画をハシゴする仲間が!と同士を見つけた気分になって、なにか話しかけようかなーと思ったのだけど、わたしが「同士」と思うほど、向こうは感慨がないかもしれない、ていうか同士として見るにはアナタ(彼女から見たわたし)年齢が上過ぎやしませんか、て三行半をたたきつけられるかも知れない。わたしがさっきラピュタにいたことなんて気づいてないかもしれないし、気づいていたとして、どうだと言うのだ。なんか発展性があるのか。発展性の見込めない会話なんて始めるべきじゃないかも。ていうかそっとしておいたほうがいい行いか、このハシゴは。そうだやめておこう‥ というようなことを、5秒くらい考えました。
わたしが若く・独身で、むこうが男子だったら、運命を感じて話しかけたかなー。どうかなー。向こうがかっこいい男子だったら勇気だしたかしら。でもかっこいい男子で、こういうハシゴする人ってあんまいそうもないよなあ。‥希少価値だからこそ、もしものときにはがんばるべきなのか。ちょっともっさりした男子にのほうが、気軽に声かけられるかしら。同属嫌悪しちゃって話しかけられないかしら。どうかしら。帰り道は、こんなことを考えながら。