スティーヴィー

思考がぐるぐるして、うまく言葉にできないけれど
(そして簡単にこたえをだすことを拒む映画だけれど)


ドキュメンタリーとして、真摯な気品があって
(映画を、ドキュメントを撮る、ということは
 自分自身を撮る、ということになるのだな‥)*1
映画として、エンタテイメントな感動があって
(スティーヴィーの彼女は、じつに、いい娘だ*2*3 *4
 いっしょにお酒飲んだり、泣いたりしたい)
とてもいい映画だと思った
(久しぶりにポレポレ東中野行った甲斐がありました‥)


わたしはこういうドキュメンタリーを見て
ゆさぶりをかけられるのがわりと好きなのだけど
それで終わらせてはいけないなと
すっきりさせてくれないのが、ドキュメンタリーのおそろしいところ
重いものしょっちゃったな‥ (でもなぜか、ちょっと胸をはり)


・・・・・
この映画に対する西島秀俊のコメントが、とてもよかった

映画製作とは、
迷い続けるための強靭な知性に支えられていることを
改めて教えられました


“迷い続けるための強靭な知性”‥ 

*1:この映画の場合、監督が主要登場人物になってしまっているから、この表現はあまりにもそのまんまで、もうしわけないですが、でも

*2:もしスティーヴィーと別れることになったら?という質問に、「たくさん泣いて、そのあと、次の恋をさがす」とこたえるところとか、涙なしには見られません。最後の言葉も、あんた、天使か。みたいな。←茶化してるわけではなく。ほんきで天使のような、いい娘。この娘がいながら‥ とぐるぐるしてしまうのが、おそろしいところでもあるのだけれど

*3:余談ですが(?)、アメリカでは、連続殺人犯より、性犯罪のほうが、悪(というか重犯罪と見られる)なのだそうです(特に、対象が子供だから、という但し書きはなかった)。どっちも悪だけど、命がないと、その後の立ち直りももうあり得ないのだから、殺人のほうが悪じゃん、と思うわたしにはカルチャーショックでした

*4:さらに余談ですが(これは完璧な余談)、わたしは「命あっての物種」を。「命あってのものだネ」だと思っていました