猫語を話せる?


俳優の小林薫さんと猫の話をしていて、さいきんぼくは猫語がわかるという話をしたら
薫さんの耳が動いた。
じつは私もわかると言いだした。
ぼくはおどろいて、ヘェーどんなときにわかったのかときくと、仕事柄、夜更けに帰宅したら、飼猫がいつになく擦り寄ってきて、それまで耳にしたこともない鳴き声で語りかけてきたと言う。ヴァイオリンか、ヴィオラの弦を引いているようなたえなる声をだしている。
それで何んといっていたのときくと、はっきりはわからないが、薫さんの健康のことを心配しているように聞きとれたと言う。それで薫さんもそのヴィオラのような音色をまねて、心配してくれてありがとうと言うと、笑ってはなれて行ったそうだ。
ところでおたくの猫とはどんな話をするのかときくから、うちのは話かけてくるというより、ひとりごとを洩らしているようだ。ただ薫さんの話をきいてなるほどなと思い当たることは、うちの猫も弦楽器の音色に似たひとりごとをつぶやいている。このつぶやきは、いまのところ家内にも高一の甥にもきこえていないようだ。イラストで紹介した六匹の猫全員が、ひとりごとを喋っている。それぞれが勝手きままに喋っていておもしろい。
ところで、薫さんとふたりで、お互い知っていると思いこんでいる猫後をランダムにぶっつけ合ってみようではないかと言うことになり、まず薫さんがヴィオラのやや低音ぎみの猫後を喋りだした。ぼくはしばらく聴き惚れてから、それより高音のヴァイオリンの猫語で会話をした。五分くらい話しあっただろうか、ふたりはすこぶる満足した。
このふたりの会話には、じつはそばにうちの家内と、薫さんの奥さんもいて、ふたりの妙なる猫語の話をきいていたのである。家内も奥さんもふたりの会話に腹をよじらせて興じていた。家に帰ってからも、薫さんがあんなにひょうきんな方とは思わなかったとよろこんでいた。そのクセあの話の内容はなんだったのかということは聞こうともせず、猫語がわかるなどということは断固としてあり得ないという顔付をしていた。
この話をそばできいていた甥の眼が光った。
そしてはじめて見るもののように、うちの六匹の猫をまさぐるように眺めながら、いまうちの猫は何か喋っているのかときくから、いやタラちゃんだけがひとりごとをいっているよと言うと、なら証拠をみせよというから、ぼくが猫語でタラちゃんを呼ぶと、かならず返事をするから見てなと言って呼びかけると、タラはニャーオ、ニャーオと二度返事してぼくに擦り寄ってきた。
ほらねというと、ちょっと驚いたような顔をしながら、次にタローを呼んでみなと言うから、ダメだ、いまはものを言いたくないと言っているからと言うと、そんな答えはウソにきまっていると、喰ってかかってきた。作り話で、インチキにきまっているというから、そんならママもきいていた薫さんとの話はどうなんだというと、薫さんは信用できるが、ぼくは信用できないという。想像の産物にすぎないし、単にイメージをもてあそんでいるのだと言う。
ね、ね、ね、ママは信じるのかと家内にしつこくきいている。薫さんとぼくとのあの絶妙な会話をきいていた家内は、いちがいに否定はできない筈だし、なんとも複雑な顔をして、さあねと甥のしつこい問いかけをかわしている。
そろそろ、六匹の猫はそれぞれの形で眠りにはいった。もうすぐに寝言がきけるだろう。